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Hopeless : 極北の消えるルーツと若者たち 第一章 アラスカとの出会い

by Keijiro Ohata

アラスカ北西部の町、コッツビュー。北極圏内に位置するこの小さな町には3000人の人々が暮らしていて、地域一帯のハブとして機能する。人口の8割ほどはイヌパック・エスキモーと呼ばれる先住民族エスキモーの人々だ。

「最後のフロンティア」と称され、ゴールドラッシュに沸き、本土から一攫千金の夢を求めた白人が流入してから100年以上が経つ。

この地には何千年という時を、その悠然とした価値観と自然との共存により生き抜いてきたエスキモーの人々が今も暮らしている。しかしその生活はここ数十年で大きく変わり、彼らの価値観もかつてとはまるで違うものになりつつある。

かつて生きるためにライフルを握りしめたその手のひらには、今はスマートフォンが握られ、インターネットが世界へと繋げる。食料はスーパーから調達でき、中国産の野菜も手に入る。テレビをつければ、大統領選挙の行方を見つめてため息をつく。

あと10年もすればアラスカの伝統的な生活はほとんどその証人を失うだろう。はるか昔より先祖から受け継いだ言語は、ここ2,3世代で風前の灯火と化した。そして残された若者は、霞んでしまった自らのルーツと、画面の奥に広がる西洋文化の狭間で、いまという時間を生きている。エスキモーの人々は大きな過渡期にいる。


しかし20世紀後半から現在に至るまで、アラスカ先住民の間では、変わらず一つの大きな問題を抱えている。アルコール依存症とそれに伴う自殺率の高さだ。

アメリカ国内では、アラスカ州が最も自殺率が高く、他州のおよそ3倍という異常な数字が示されている。そのほとんどが、エスキモーのような先住民で、しかも15歳から25歳の若者だ。この自殺の問題は何十年も前から指摘されながらも、今なお具体的な成果のある対策は示されていない。そもそもその原因さえも、捉えきれずにいる。

いったいなぜなのだろうか。遺伝子上の問題? アイデンティティーの喪失? 社会への失望? これまで数多くの記事や論文が書かれ、対策を講じられても解決の糸口へとつながっていない。問題が解決されない間に時間だけが流れ、その理由も大きく変化していると指摘する声もある。


ここで私がどうして日本からはるか遠くに暮らす先住民族のアルコール依存症問題などに興味をもち、ここまで来たのかについて話さねばならない。

私のアラスカとの出会いは小学生の頃にさかのぼる。当時小学3年生だった私は、国語の教科書に載っていたひとつのエッセイに強く、強く惹かれた。それは星野道夫という写真家が書いた優しい文章と共に、彼が撮ったアラスカの大自然と動物の写真が添えられているものだった。今ではそのエッセイのタイトルや文章は忘れてしまったが、当時衝撃を受けたその写真は今も脳裏に焼き付いている。海面から今にも跳ね上がろうとする巨大なクジラ、どこまでも続く大地に佇む1匹のムース。自然の美しさと生命の力強さは幼心に、アラスカへの漠然とした憧憬の念を植え付けていた。

そしてそれから星野道夫の著作や写真を読みあさった私は、次第に自然や動物そのものよりも、それと共に生きる人間の方に興味を覚えた。アラスカの土地で生きるエスキモーやインディアンと呼ばれる先住民の暮らしに夢中になりながら、同時に彼らの文化が急速に失われつつあること、その過程で若者のアルコール依存症やドラッグ依存症、それに伴う自殺の問題が深刻なこと、そしてそれが長年解決されないまま時間だけが過ぎていることを知った。

私はどうしてこの問題が起こるのか、どうして改善の取り組みが広まらないのか、もやもやとした思いを持ち続けていた。アメリカの人たちは彼らが苦しんでいることを知っているのだろうか。どうして私と同じ年代の若者が自ら命を落とすことが止められないのか、自分で調べてみたいという想いが強くなっていた。

そして2014年、アメリカの大学に留学した私はこの問題について調べ、記事を書く機会を得た。ワシントンD.Cにいたこともあり、州政府機関で働く人や先住民NGO組織で働く人らにインタビューをした。そのうちの一人が、ジェフだ。彼はエスキモー民族組織のワシントン支社でロビイストとして働いていた。彼とはそのインタビューを機に親しくなった。

そうした人々への取材を通し、エスキモーの若者が抱えるジレンマやアルコールに手を出してしまうことの背景を自分なりに分析し、極北で生きる同年代の若者たちの境遇を垣間見ることができたように思えた。しかし同時に、彼らの生の声が聞こえないことには、この問題の本質には近づけないようにも思えた。

「アイデンティティが失われている」

「教育や雇用の機会がない」

2年前のインタビューで聞いたこれらの言葉では、一概にまとめられない複雑な問題が横たわっているのではないか、という想いを、私は拭い去ることができなかった。

そして彼らがこれからどう生きていこうとしているのか、もっと話を聞いてみたい。私はそう思いを決め、ジェフに連絡をいれた。

「こないだの取材の続きをしたい」

そう言うと彼はとても喜んでくれ、自分が生まれ育った町であるコッツビューを訪れる手配をしてくれた。私がインタビューをしたエスキモーの人たちは、ナイーブなトピックにも関わらず、取材されることを歓迎してくれ、多くを語ってくれた。

「この問題をもっと世界に広めてほしいから、興味を持ってもらえると嬉しい」

とジェフは2年前のインタビューの最後に言っていた。私はしょせん一人の学生で、多くの人たちに広める力もない。けれどそんな私のためにも、彼は協力的に接してくれていた。

私はそんなジェフらの想いを胸にとどめながら、コッツビューの町へと向かったのだった。


そして2016年8月、日本から飛行機を乗り継ぐこと3回。既に出発から40時間は過ぎている。アラスカ航空のジェット機からタラップで降りると、どんよりとした曇り空が迎えてくれた。自分が今地球儀のどの辺りにいるのだろうか、と思い地図を出してみたが、そこが既に北極圏の中であることを意識しようとするが、どうにも実感がわかない。季節は8月真夏だが、気温は日本の11月並みだ。

私はアメリカ留学中に出会ったエスキモーの友人、ジェフのつてで、彼の同僚であるディーン・ウェストレイクの家に居候させてもらうことになっていた。ディーンは民族権益団体であるNANAで働きながら、アラスカ州議会議員選挙に立候補中だった。そんな忙しいなか私を泊めてくれたのだが、やはり町を案内してくれるほどの時間はなく、彼の知り合いを何人も紹介してもらい、彼らと生活を共にしながらインタビューを行っていった。


キャンプ、犬ぞり、フィッシング、ハンティング。エスキモーの人々の伝統として受け継いできたライフスタイルを共に体験しながら、去りゆく世代が大切にする価値観について、そしてそれを受け継ぎ切れていないことに苦しむ若者たちの心情を聞いた。

そして自殺により家族を失った者、自殺を図ろうとした者、アルコール依存症に苦しむ者、自らの責任で家庭を失った者——。決してひとくくりにできないこうした人々と直接話し、生の声に耳を澄ませることで同時代を生きるアラスカの若者たちの境遇に、少しでも迫ることができたと考えている。

彼らが目指すべき方向は一つ、「自らの手で社会を治すこと」。カウンセラーや教師、医師は全員外部からの人間だ。自らの文化は自らの手でしか守れない、そう決意してプロジェクトを始めたり、大学へ進学したりする者もいる。今の世代にはそうした挑戦への足場ができはじめている。

彼らが経験を積み、自らの故郷に戻り、還元したとき、エスキモー社会は大きく動き出すように思えた。





Keijiro Ohata
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