LOG IN

Hopeless : 極北の消えるルーツと若者たち 第三章 土地と繋がる

by Keijiro Ohata

コッツビューを発ってから45分くらい進むと陸に近づき、チャックはスピードをゆるめた。

「ここがイビック、俺の生まれ育った土地だ」

チャックはそう言うと海岸にボートをつけた。視界の奥には山々が連なり、その手前には草原が広がる。海岸線にはいくつかのキャビンがポツリポツリと並んでいる。これがアラスカの大地かーー。
私は荷ほどきを手伝うが、あまりの美しさに気をとられ、身が入らない。
あれほど憧れたアラスカの大自然の中に自分がいるということがどうにも信じられない。

端から数えて3つめがチャックのキャビン。そこまで歩いて荷物を運ぶ。

「長靴を履いていけ」

彼がそう言ったのは意味があった。草原のように見えたのはツンドラの地衣類で、クッションのような土は水を多く含んでいる。足がとられて非常に歩きにくい。気がつけば長靴の表面はびしょびしょだ。

ツンドラの大地は地衣類という苔の絨毯に覆われ、想像以上に湿っている
ツンドラの大地は地衣類という苔の絨毯に覆われ、想像以上に湿っている

彼が一人で建てたというキャビンは質素ながらも頑丈そうに見える。中には暖炉があり冬も暖かく、キャビンの横にはチャックお手製のサウナもある。サウナで汗をかいたあと外に出て雪の中に飛び込むのが最高に気持ち良いようだ。

ただこのイビックは村でもないので水道や電気、ガスはなく、もちろんインターネットもない。水は川から汲んできたものを使う。電気はバッテリーを持参して使うときだけスイッチを入れる。コッツビューから一歩離れただけでかなり不便な生活にはなるが、これが本来のアラスカの姿だとチャックは言う。

海岸沿いに建つチャックのキャビン。手前の青い小屋がサウナだ
海岸沿いに建つチャックのキャビン。手前の青い小屋がサウナだ

「コッツビューやワシラは人が多すぎる。しばらく過ごすと息苦しくなってしまう」

おそらくチャックは東京に来たら1日で熱を出してしまうだろうが、確かにイビックには静寂があった。聞こえるのは波と風の音だけ。どういうわけか周りのキャビンには人気がない。

「ここは俺たちシェイファー一族の土地。いまじゃ住む者は誰もおらんが、たまに親戚たちがやってくるのさ。今も俺の姪っ子の家族が来てるようだ」

チャックはそう言うとラジオのスイッチをひねった。スピーカーからカントリーミュージックが流れる。このラジオだけが唯一の情報源だ。曲が終わると眠そうな男の声でバースデーメッセージが代読されている。

この古いラジオだけが唯一の情報源。チャックは一日中かけっぱなしにしていた
この古いラジオだけが唯一の情報源。チャックは一日中かけっぱなしにしていた

チャックはコーヒーを淹れ、ゆっくりとくつろいだ。今回はいくつか荷物を取りに来るためにイビックに渡ったようだが、基本的には暇なようだ。私もコーヒーをすすりながらしばらくラジオに聴き入り、窓の外の景色を眺めた。時間がゆっくりと過ぎていく。午後6時を過ぎても日は全く沈む様子を見せない。

チャックと私はキャビンの中で膝を付け合わせ、多くのことを語り合った。


「コッツビューは便利すぎる。みんなテレビやネットに時間を使いすぎなんだ」

彼が定期的にイビックを訪れる理由を聞くとそう答えた。固有の文化との繋がりからアイデンティティーは作り出される、とするチャックの考えでは、便利さは画一的な社会を生み出す。そして気がつけば自分が属する「らしさ」がなくなり自分を見失う。

「これがエスキモーの若者が自殺を図ろうとする原因でもあるだろう。スマホやゲームに支配されている」

だがそうした問題はアラスカだけでなく、アメリカ本土や日本でも指摘されている、いわば全世界共通の問題だろう。

ソファにかかるグリズリーの毛皮。数年前にチャックが仕留めたのだという
ソファにかかるグリズリーの毛皮。数年前にチャックが仕留めたのだという

「アラスカの人間は政府からの補助で生きられている。それがいつの日かなくなったら職にあぶれ、生活に苦しくなって自殺者ももっと増えるだろう。その時はいずれはやってくる。それに備えてなければならん」

コッツビューは決して職や教育に恵まれた土地ではない。さらに輸送に莫大な経費がかかるためガソリンや日用品の価格は本土の3倍以上。町の中で仕事をしている限り、政府の支援なしに生活することなどできない。その支援がなくなるかもしれないという事態に誰も対策を講じようとしないことにチャックは危機感を抱いている。

どう稼ぐ力をつけるか。そしてどうメンタル面を支えるか。これほど若者たちの、文化との繋がりが希薄な状態でその時代を迎えてしまうことに大きな不安を抱えていた。

「結局一番問題があるのは親の教育だろうな。子育てが上手くできていないことこそが全ての根本だ」

チャックは11人兄弟の家庭に生まれた。兄弟の中にはアルコール依存症に苦しんだ者もいる。

「俺は犬ぞり使いを30年以上もやっている。犬は自分が手をかければかけるほど優秀に育つ。放っておけばろくな犬にならない。これは人間も同じさ」

アルコール依存症の親の家庭には、アルコール依存症の子が育ちやすい。幼い時から両親が酒浸りになる姿を見て、反面教師にする子供もなかにはいるが、彼らにとって生活からアルコールを断ち切ることは容易ではない。

「俺たちがハンティングをしていた時は両親以外から学ぶことが本当に多かった。地域のコミュニティーや、狩った動物たちからも多くのことを学んださ。それが今はどうだ? アルコール漬けの親のもとで育って、自分がどこから来たのかもわからず路頭に迷って命を絶つ。正直言って気の毒だ」

チャック自身も5人の子供がいる。息子たちは幼少期からハンティングに連れて行き、末の娘には犬ぞりもやらせている。そうしたエスキモーの文化から、生きるために学ぶことは多いと知っていたからだろう。

「犬ぞりはエスキモーの文化そのものだ」

かつては唯一の移動手段としてエスキモーの生活を支えていた犬ぞりは、自動車やスノーモービルの登場で急速に数が減った。日常生活に不要になった犬ぞりはレースという形でどうにか今に形を残してきた。しかし、そのレースすら存続の危機になるのだという。

「昔はコッツビューだけでも20以上のチームがあった。けれど今じゃ4つしかない。若者が受け継いでくれなくなっているんだ」

確かに犬ぞりレースをやるには膨大な費用と手間がかかる。10匹、20匹分の餌代を考えただけでもかなりのものだ。そのコストを払ってまで犬ぞりレースに参加しようという若者はなかなか現れない。

「犬ぞりレースをやると、普段の生活では味わうことができない大きな責任が生じる。ここから学ぶことは多いと思うんだがな」

チャックは続けた。

「若いやつらはエスキモー文化と西洋文化に挟まれているのは分かる。けれど俺なら自分が親から受け継いだ文化をまずは学ぼうと思うけどな」

彼はそう言うとタバコを手で巻き、キャビンの外に出て吸い始めた。

便利さがものを言う時代において、犬ぞりをはじめとするエスキモーの文化は古くさく、面倒くさく感じられる。わざわざ手間をかけてまで伝統を守らなくても、もっと簡単な生き方がある。そうしてどんどん効率的で画一的な方へと流されていった結果が今のエスキモーの若者だ、とチャックは言う。そうして気がついた時には両親や先祖が受け継いできた文化との繋がりも淡泊になり、自分の居場所が分からなくなるのだという。


窓の外を見るとようやく日が傾き始めたようだった。時計を見ると午後8時。日本ならとっくに日が落ちてる時間だ。私も外の空気を吸いたくなり、外へ出た。

「この蜂を見てみろ」

チャックはタバコを吸いながら、キャビンの脇に咲く花の蜜を吸う蜂を指さした。

「ここでは蜂も熊もカリブーもムースも人間も同じなんだ。みんなこの土地と繋がっているんだ」

私は一瞬チャックが意図することが分からなかった。

「春になると熊は冬眠から目覚める。カリブーは草を求めて北上する。カモメが飛んできては卵を産む。俺たちエスキモーはそのカリブーを狩ったりカモメの卵を捕ったりする。夏になると熊はブルーベリーをたらふく食べる。蜂たちはせっせと花の蜜を吸う。俺たちはサーモンを釣ったり、熊のようにベリーを集めたりする。秋になるとカリブーはまた草を求めて南下してくる。熊は冬眠の準備をする。俺たちも冬を越すためにカリブーやアザラシを狩る。そして冬になると熊は眠り、カリブーはなおも移動し、俺たちは貯め込んだ食糧を食べながら春になるのを待つ」

チャックのキャビンの外に咲く花には蜂が蜜を吸いに来ていた。
チャックのキャビンの外に咲く花には蜂が蜜を吸いに来ていた。

「つまり熊もカリブーも蜂も人間も、季節ごとにその土地がくれる恵みをもらいながら生きている。夏には夏のするべき事があり、冬には冬の過ごし方がある。それがエスキモーのライフスタイルだったんだ」

足元ではさっきの蜂がまだせっせと蜜を吸っている。

「そんな生き方は今ではほとんどできないだろう。けど俺たちは元々そういう生き方をしていたということは知っておくべきだろう」

彼はタバコを踏み消し、キャビンの中へ入っていった。まだ日は暮れない。


ラジオからはエスキモー語講座のような番組が流れ始めた。チャックは晩ご飯の支度を始めた。

「とはいえ今の若者は気の毒だ。アイデンティティーを保つのが非常に難しくなっている」

チャックはソーセージを炒めながらそう言った。

「西洋文化のもとでは経済力が全てだ。彼らにはそれがない」

アラスカの地に白人たちが押し寄せてから100年以上が経つ。その文化とはもはや切っても切れない縁となっている。

「『所有物』を明確にするのが西洋文化なのに対して、俺たちエスキモーの文化は『シェアリング』だ。お互いに依存し合い、頼り合うことで生き抜いてきた。これは真逆の文化なんだ」

チャック自身も大きく揺れ動く青春の時代を過ごしてきた。その相反する二つの文化の狭間で自分とは誰なのか、という問いに答えを出すことの難しさを知っている。

「正直に言って、これは負け戦さ。いつかは俺たちの文化はなくなってしまうだろう。避けようがないことだ」

チャックは淡々と話すが、いつか自分たちの文化が完全になくなってしまうことに対して悔しさはないのだろうか。

「文化が消え失せても、人間はその土地の産物であることに変わりはないんだ」

その土地の産物ーー。土地との繋がりを何よりも大切にするエスキモーの人たちにとって、言語やライフスタイルの喪失は避けようがないことなのは誰もが分かっている。若者は他のアメリカ人の若者と同じような憧れを持ち、彼らの価値観をもつ。けれど、このアラスカの、このコッツビューという町で人間が暮らしている以上、「自分はこの土地の人間だ」という意識を持ち、たとえこの町を離れたところで暮らしていても、土地とのつながりを持ち続けることが、去りゆく世代の者たちの唯一の願いなのであろう。

「せめて自分の娘や孫たちには、自分が誰なのか、どこから来たのか教えてやりたい」

彼が娘に犬ぞりをやらせ、イビックに子供たちを連れてくるのはそうした気持ちがあるからなのだ。

キャビンの窓から燃えるような夕陽が差し込んできた。ツンドラの大地がオレンジに輝いている。長い長い一日がようやく終わろうとしている。チャックは晩ご飯を食べ終わると、本を読みふけった。私は長靴を履いてツンドラのなかに分け入っていった。そしてしばらく沈みゆく夕陽を見つめながらシャッターを切った。こんなにも遅く、長く、そして美しい夕陽を見たのは初めてだった。私はこみ上げる感動を必死に押さえつけながら、一歩ずつ夕陽に近づいていく。太陽が地平線の遠くの山に沈んでいくのが見えた。振り返るとチャックのキャビンが小さくなっていた。私はそこでしばらくゆっくりと深呼吸をしながら、夕陽を見つめた。地平線に近づくにつれて太陽が真っ赤に染まっていく。一機のセスナが夕陽に向かって飛んでいく。アラスカの燃えるような夏の一日が終わる。そのエンディングはあまりにも壮大なものだった。


Keijiro Ohata
OTHER SNAPS