LOG IN

Hopeless : 極北の消えるルーツと若者たち 第四章 両親の死を乗り越えて

by Keijiro Ohata

コッツビューの町からボートで45分。イビックと呼ばれるその小さな集落は、シェイファー一家の故郷だ。海岸線沿いのツンドラに建ち並ぶ8つばかりのキャビンには今は誰も住んでおらず、週末やまとまった休みの際に親族が訪れる。

私はチャック・シェイファーのキャビンに数日滞在する間、カーマン・モナゴールドと出会った。彼女のキャビンは集落の端にあり、旦那と息子2人を連れて、イビックに“里帰り”をしていた。

チャックは8人兄弟の6番目。カーマンは彼の末弟の娘、つまり姪にあたる女性だ。がっしりとした体格、睨み付けるような鋭いまなざし、顎に入った3本線の刺青。その見た目からは異様な雰囲気を醸し出す彼女だが、話し始めると底抜けに明るく、何事も大声でガハハと笑い飛ばす姿は豪快そのものだ。

チャックの姪、カーマン。顎にはエスキモー伝統の刺青が刻まれている。
チャックの姪、カーマン。顎にはエスキモー伝統の刺青が刻まれている。

カーマンは優れたハンターでもあった。イヌパック・エスキモーは、基本的に女性は狩りをしない。伝統的に縫い物や料理、ベリーピッキングを担うことが多いが、彼女にとってそんな常識は通用しない。

20歳の頃から始めたハンティングは、親戚や友人の手ほどきを受け、ゆっくりと上達していった。最初は誰もが「異端児」として見たカーマンだが、次第に実力が認められ、2015年には年間最優秀ハンターも受賞するほどになっていた。

「ホンモノのエスキモーにはまだまだ及ばん」

とチャックは辛辣だが、その目はハンターとして一目置いているようにも見えた。

そんなカーマンの見た目や、話し方を見ていた私の目には、彼女は「強い女性」として映っていた。白人の旦那を持ち、4人の息子を持つ彼女は誰よりもタフで堂々としている。しかしその強さの裏には、彼女がこれまでくぐり抜けてきた幾多の壮絶な体験の記憶が刻まれていたことを、私は気づき始めるのだった。


カーマンが仕留めたアザラシの皮。完全に乾かし、帽子や手袋を作る。
カーマンが仕留めたアザラシの皮。完全に乾かし、帽子や手袋を作る。

夜11時くらいに彼女たち一家のキャビンを訪ねた。夜と言っても夏のアラスカの11時はオレンジの夕陽が水平線近くに沈み始める、一日で一番美しい時間帯だ。彼女が狩ったアザラシから作る伝統衣類を見せてくれる、と言われ私はキャビンに向かった。

彼女の作業場を見学したあと、私たちはビーチまでバギーを走らせた。愛犬ハナがバギーの横を嬉しそうにどこまでもついてくる。水平線ギリギリに夕陽が垂れ下がり、だんだんと空が鮮やかな赤紫に染まる。まるでどこか違う惑星に来たようだ。

「私が9歳の時、母は見知らぬ男たちにレイプされ、殺されたわ」

イビックの海岸に打ち寄せるさざ波の音を聞きながら、カーマンはタバコに火をつけ、そう切り出した。

彼女の母はアルコール依存症だった。殺害された夜も泥酔状態だったという。

両親はカーマンが1歳の頃に離婚し、彼女は母に育てられていない。父とその家族に引き取られた彼女は、ここイビックで何事もなくすくすくと成長するーー。といったわけにはいかなかった。

「父は何度も私の前で自殺を図ったわ。でもできなかったのよ」

彼女の父も多くの問題を抱え、酒と麻薬に助けを求めていた。

「父はゲイだった。その頃ゲイはまだ社会的に認められていない時代。父は苦しみながらもどうにか私を育てていたわ。けど母の死と祖母の死を経て、父は完全に崩れてしまったのよ」

カーマンが12歳の頃から、彼は頻繁に彼女の目の前で自殺を図ろうとした。彼女はただ目に涙を浮かべ、見つめることしかできなかったという。これ以上一緒に暮らすことはできない、と周囲が動き出し、彼女は年上の従兄弟に育てられることになった。

「従兄弟のスーザンは私の人生を変えてくれた。初めて安心できる家を手に入れたのよ」

コッツビューの町で暮らし、学校にも通った。幸い彼女には多くの親戚や支えてくれる人がいた。彼らは頻繁に彼女を気にかけ、そっと見守っていた。しかしその後の彼女が非行の道を辿っていくことを誰も止めることができなかった。というよりもそれは、その時代のコッツビューの若者誰しもが辿る道だったのかもしれない。

カーマンが酒を飲み始めたのは9歳の時。マリファナを吸い始めたのは10歳。タバコに至っては7歳から吸い続けている。幼い頃にアルコール依存症の母を亡くし、父も長らく苦しんだ。彼女にとってアルコールは両親を追い詰めた元凶でもあったが、いつの間にか自身ものめり込んでいた。

仲の良い友達とつるんで酒を飲み、大騒ぎを繰り返す。それが彼女の日常であり、当時のエスキモーの若者の日常でもあった。

喧嘩になるとカーマンは絶対に負けることはなかった。脳裏にレイプされ、殺された母の姿が焼き付いていたからだ。「生きるためには強くなければならない」。そう心に決めていたが故に、彼女は相手が男であってもノックアウトさせ、その度に補導されるほどになっていた。

「そして私は高校を卒業する頃に妊娠したのよ。そこからまた人生が変わっていったわ」

こうした話をカーマンは淡々と、時にはゲラゲラと笑いながら私に話す。私はただそれを黙って聞きながら、彼女が歩んできた半生に思いを馳せたが、それは容易にイメージできるものではなかった。夕陽はすっかり姿をくらまし、空には薄紫の淡い明かりが残っていた。

翌年に息子を出産したが彼女は結婚をすることなく、イビックに戻って父のもとで子育てを始めた。一時は平静を取り戻していた父の元、生まれ育った土地で落ち着いた暮らしが送れると信じていたからだ。

「だけどそれは長く続かなかった。父は私の息子を殺そうとしたわ。そして私と心中を図ろうともした」

カーマンはとうとう父を通報し、刑務所に入れる決断をした。彼女にとって、そんな父でも最愛の父であり、唯一の肉親だった。しかし今は息子を守らなければならない。苦渋の思いだった。

彼女は父と決別し、シングルマザーとなった。まだ18歳であった。


父親を刑務所にいれたあと、彼女はコッツビューに戻り、新しい恋人と共に新たな生活をスタートさせていた。しかし彼との生活も順調には進まず、別れたり、よりを戻したり、と不安定な時期を過ごしていたところ、彼女の妊娠が発覚する。既にカーマンの元を離れていた彼は、お腹の子を認知することなく新しい恋人の元へと向かった。
カーマンは若干20歳にして2児の子をもつシングルマザーとなっていた。

20歳そこそこで一人で二児の子育てをしようとするカーマンに、多くの人が養子縁組を勧めたが彼女は手放さなかった。いや、できなかったと言った方が正確だろう。彼女の周りには多くの親戚や友人がいたが、彼女にとって真の家族はこの子たちしかいなかった。母を亡くし父を失ったカーマンがようやく手に入れた家族。それを手放すことなどできなかった。

「それでも相変わらずアルコール依存症でナイーブな時期を過ごしていた。そんな時よ彼に出会ったのわ」

シアトル出身の白人であるロンはコッツビューで保安官として働いている。カーマンと結婚したのは15年前。彼女との間に、マシューと1歳年下のケビンの2児をもうけた。女手一つで2人の子を育てていた彼女はようやく家庭を築き、保安官を務めるロンの元、生活も安定へと向かっていった。ロンの協力を得て完全にアルコールも断ち切った。さらにカーマンはなんと、アラスカ第2の都市、フェアバンクスで短期大学にも通い出したのだ。卒業後はコッツビューに戻り、空港でレイヴン航空という小さな航空会社に勤めるようになる。ようやく彼女の人生が軌道に乗ってきたように思えていた時だった。

「父が亡くなった」

知らせを受け病院へ駆けつけたカーマンは、「ようやく解放された」と率直に感じていた。あれほどまでに自分を苦しめた父がこの世を去った。そう考えるとカーマンは一気に肩の荷が降りたように思えた。ついに苦痛の日々が終わるのだーー。

それから数ヶ月は平穏な日々が続いた。


「それから間もなくよ、突然全身に耐えきれない痛みが襲ってきた。もう気が狂うくらいつらい痛みだったわ」

病院に通ってみるも直接的な原因は不明。短期間のうちに両肘、背中と立て続けに手術を行い、カーマンは肉体的にも精神的にもボロボロの状態だった。

「当然仕事は辞めなければいけなくなったし、家事もほとんどできなくなったわ」

どうしてこうなったのか。何が原因だったのか。彼女は悩み続けた。家族を持ち、父が去り、これから失った時間を取り戻そうとしていた時だったのにーー。彼女は自分の人生を呪った。

ところが、ある1冊の本との出会いが、彼女のなかの不条理に解を与えたように思えたのだ。

“Childhood Disrupted”。その本には、幼い頃の記憶やトラウマが、いかにその後の人生に精神的に影響を及ぼすか、脳科学的見地から書かれていた。

「そして何より、その本にはいかに健康を取り戻すかが書かれていたわ」

家族、アルコール、ドラッグ、刑務所。カーマンはそうした数々のトラウマを、「強い女性」として生きることで克服しようと努めていた。「両親のようにはなりたくない」という強い信念が彼女の強さの原動力だったのだ。しかしそのトラウマは、大人になり家庭をもった彼女にとって、過去の出来事として乗り越えたつもりでも、いつまでも彼女の身体にまとわりついていたのだ。「それが私を苦しめている」。彼女はその本を読破したときに、何をするべきか分かっていた。

「イビックに戻ろう」

だが今のカーマンには家族がある。息子たちのことを思って表情を曇らせるロンを説得し、カーマンは一人でイビックへと渡った。

ビーチに干されたカリブーの毛皮。これもカーマンが狩ったものだ
ビーチに干されたカリブーの毛皮。これもカーマンが狩ったものだ

「この土地に私は強いつながりを感じるのよ。私の先祖が眠るこの地しか、私を癒やしてくれる場所はなかったのよ」

イビックへと移った訳を聞くとカーマンはそう答えた。彼女自身、抽象的にしか言い表せないその心情をロンや友人たちにどう説明すべきか、良い答えを持ち合わせていなかった。

「たとえどんな痛みに襲われても、窓の外のイビックの美しい自然を感じることができれば乗り切れる。そんな気がしてたのよ」

結局彼女は半ば強引にイビックに治療のため籠もり、時折家族や親戚が彼女の様子を伺いに訪れた。それは自身にとって必要なことであり、今の元気な姿があるのは、この土地に帰ってきたおかげだとカーマンは確信している。彼女にとって、イビックという土地との精神的繋がりは、西洋文化社会で生きる我々には想像もできないほど強い。

「単純に言うと、イビックにいないときはハッピーじゃない。心にぽっかり穴が空いたような感覚になるのよ。何かを失ったような感覚。けれどここに戻ってくるとすごく安心する。自分らしくいられるのはイビックしかない」

彼女にとって土地の繋がりとはすなわち先祖との繋がりを意味する。インディアン・マウンテンと呼ばれる小高い山の中腹に眠る彼女の祖父母をはじめ、その祖先は全員この地、イビックで埋葬されている。そしてそこには長年彼女のトラウマの種であり続けた、父も眠っているのだ。

「イビックに来て、ようやく父を許せるようになれた。」

カーマンはそれまで両親を恨み、反発することで自分の人生を歩んでゆけると考えていた。アルコール依存症から抜け出せなかった母、自分らしく生きられず心中を図ろうとした父を、彼女はどうしても許すことができずにいたのだ。

「恨み続けることは、結局その怒りを抱えて生き続けなければならない。そしてその怒りが、私の身体と精神を苦しめているんだ、って気づいたわ」

長い時間をかけ、何度もセラピーに通い、カーマンはようやく両親を許し、愛することができた。

「もちろん父は私に何一つろくな事をしなかった。けど父は父なりにベストを尽くしたんだって気づいたの。そして何より私のことを愛してくれていたんだって」

「もしも今両親に会えるなら、私はこう言ってあげたいわ、“誰だって完璧なんかじゃない”って」

ロンと出会い、4人の子供を育てあげ、母と父の死を乗り越え、このイビックの地で、カーマンは長く暗かった幼少期のトラウマを抱きしめ、克服し、新たな幸せへとようやく歩き始めたのだった。




Keijiro Ohata
OTHER SNAPS