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Hopeless : 極北の消えるルーツと若者たち 第七章 エスキモーキッス

by Keijiro Ohata

コッツビューの村をあてもなく歩いていると、けたましいクラクションを鳴らされ、1台のピックアップトラックが私の真横で止まった。ウインドウが開き、中の男に、

「お前、ディーンのところに泊まってる日本人だろ」

と声をかけられた。私はこの男が誰なのかすぐには分からなかったが、差し出されたゴツゴツとした右手を握りしめ、思い出した。前にディーンと共に海岸に射撃の練習にいった時に出会ったデンプシー・ウッズだ。

彼は海岸にて20匹ほどの犬を飼っており、冬には犬ソリレースに参加する。私が出会ったとき、彼はちょうど犬たちに餌を与えているところだった。

「今度あそこの海岸でサーモン釣りをするんだが、手伝いにこないか?」

車の中では奥さんのファーニーが手を振っている。
私はさっそく彼の電話番号を受け取り、日時を約束した。

海岸沿いのフィッシングポイントまで行くデンプシー
海岸沿いのフィッシングポイントまで行くデンプシー


「デンプシーはホンモノのエスキモーだ」

町の人々に彼のことを聞くと、みな口をそろえてそう言う。それは彼が犬ぞりレーサーだからでもあり、彼がほぼ失われかけているエスキモー言語を話すからでもあり、彼の生活スタイルそのものがエスキモーらしいからでもある。「エスキモーらしい」とは何か。それはチャックに言わせれば、「ハンティングの腕前がいい」ことであり、ハーマンに言わせれば「いつもボロボロのTシャツを着ている」ことであり、カーマンに言わせれば「家族を心から大切にする」ことであり、デンプシーはそのどれにもあてはまる男のようだ。穴だらけのTシャツを着て、シベリアンハスキーの群れを一人でてなづける様子は圧巻だ。

彼と奥さんのファーニーの間には2人の子供がいる。長男のジュニアは軍隊で働き、長女のハーレイは高校3年生だ。しかし、彼ら一家が住む狭いアパートには、総勢8人もの人間が寝泊まりしている。養子として引き取られた、6歳のダーサー、ハーレイの友人のナオミ、はるか南ハワイから出稼ぎにきたウルフ、そしてハーレイの彼氏のジェームスもなぜか共に暮らしている。

デンプシーは夏になると毎晩、このウッズファミリーを全員引き連れてサーモン釣りに海岸まで来る。

ハスキーを繋いだビーチの目の前の海にネットを設置し、垂らす、揚げる、の繰り返し。この単純作業だけで、驚くことにサーモンがかかるのだ。網があることに気づかず海の中を移動するサーモンがひっかかり、抜けなくなるという仕組み。ただし網は想像以上に重い。50mほどの長さがあるので、海の中から引き揚げるにはとても一人の力では足りない。そのためにデンプシーはファミリーをいつも動員するのだ。

「よし、引っ張れー!!」

デンプシーが指揮を執り、奥さんのファーニーと一番幼いダーサー以外のみんなが網を引っ張る。綱引きの要領でぐいぐいと引き揚げると、10センチ四方の編み目にサーモンがいくつも引っかかっている。

そこからはファーニーの仕事で、サーモンをすかさず網からほどき、バケツに放り投げていく。1回の引き揚げで多いときに10匹ほどかかる。卵を抱え、まるまると太ったサーモンを、エラから指を入れて持ち上げ、一度に4匹ほど持ち上げるファーニーはたくましい。

バケツに入れられたサーモンは、その場で解体されていく。ファーニーとハーレイの担当で、ウルと呼ばれるエスキモーの伝統の刀でおろす。その間デンプシーは次の漁の準備を始め、男子陣は釣れたてのサーモンを数尾抱えて車に乗り込んだ。

ウルと呼ばれる伝統の包丁でサーモンを捌いていく
ウルと呼ばれる伝統の包丁でサーモンを捌いていく

「いつも多く獲れたときは近所の老人のところに持って行かせるんだ」

デンプシーがそう教えてくれた。カーマンが、最初に獲れた獲物は必ず近所の老人に贈ると言っていたことと同じだ。古くから老人を思いやる伝統だったエスキモー文化をそのまま引き継いでいる。これがデンプシーが「ホンモノのエスキモー」と呼ばれる理由の一つだろうか。

ウルで素早くおろしていく光景は鮮やかで、板前のように綺麗に3枚おろしにしていく。ほとんどのサーモンが、開けてみるとたっぷりとイクラを孕んでいた。

「ここが一番美味しいのよ。日本人も食べるんでしょう?」

ファーニーが嬉しそうに解体を続ける。卵と頭を切り離し、内臓などは捨て、おろした身は掘っ立て小屋の中で干す。そこでしばらく寝かされたサーモンは赤茶色に変色し、香ばしい匂いを醸し出す。ジャーキーになった身は冬の間も大事な食糧として保存されるのだ。

「さぁ、もう一度網を投げろ!」

デンプシーのかけ声で子供たちが動き出す。身を切り終えたファーニーは海岸に寝っ転がり、ダーサーと毛布にくるまる。足元では子犬がじゃれ合っている。夜10時の西日が海面に反射する。これがウッズファミリーの夏の日常だ。


あくる日も、私はデンプシーたちとサーモン釣りへ出かけた。今回はファーニーの母、カッシーも一緒だ。カッシーとファーニーはアラスカ北東部の村、シシュマレフの出身。シシュマレフはアラスカ北東部の海岸沿いに位置する小さな村だが、その村はあと数十年の間になくなってしまうと言われている。

ベーリング海に面した島に立つシシュマレフは温暖化の影響を最も強く受ける村の一つだ。打ち寄せる波が永久凍土をとかし、削り取ってしまう。多くの住民がアンカレッジや他の村に避難しているが、今も一部の住民は故郷を捨てることなく生活している。

「父が亡くなって、どうしても心配になって母をこっちに呼び寄せたのよ」

いつも満面の笑みを絶やさないカッシーだが、故郷のシシュマレフについて聞くと、ゆっくりとため息をついて

「いい村だったわ・・・」

と言葉少なに漏らした。

ファーニーの母、カッシーはシシュマレフの出身だ
ファーニーの母、カッシーはシシュマレフの出身だ


その日もデンプシーのかけ声を先頭に、子供たちは分担して漁を手伝っていた。カッシーは海岸に座り、海を眺めている。設置した網にかかったサーモンが暴れてあがる水しぶきを見て、嬉しそうに笑っていた。

「私たちもシシュマレフでよく釣りをしたものよ」

そんな母をみてファーニーが懐かしそうに言う。デンプシーの家族は、コッツビューに住むエスキモーの中でも伝統的な暮らしを守っている家族だ。今でも毎晩家族でサーモンフィッシングをする家庭は決して多くない。ましてや子供たちも当たり前のように手伝い、自然とエスキモーのライフスタイルを学ぶ姿勢をもつことは極めて稀だ。

「小さい頃からやり続けているから勝手に覚えちゃったわ」

ウルを握りしめサーモンを綺麗に解体するハーレイが笑って言う。

「母から教わった切り方をこの子にも教えたのよ」

娘の裁き方を横目に見ながらファーニーが微笑んだ。笑った顔はカッシーそっくりだ。

親子三世代に共通する文化を持つこと。絶えず時代の波に大きく揺さぶられるエスキモーの社会においてこれがどれだけ困難なものか、私の一夏の滞在でも肌で感じることができるほどであった。


「若者たちはライフルを捨ててスマホに夢中さ」

チャック・シェイファーが吐き捨てるように言ったように、デジタルの時代はここ北極圏にも訪れている。テレビをつければアメリカ本土と同じ番組が映り、ネットに繋げればFacebookにセルフィーを投稿する。映画館もなければボーリング場もない、クラブもなければバーもないこの町で暮らす若者は必然的にインターネットに繋がりを求めてしまう。カーマンの息子、マシューも暇さえあればスマホでゲームをしている。

「町の外には楽しいことがたくさんある」

そのことを画面の中で知っている彼らは、どうしてもコッツビューという町に閉塞感を感じてしまうのだろう。

コッツビューに限らず、エスキモーの若者は、両親や祖父母の世代が過ごした暮らしと距離をとりつつある。かつて生きるために行っていたハンティングも、スーパーができ食材がいつでも手に入るようになると趣味程度で十分になる。空いた時間に、それよりも面白いネットやゲームの世界に手を伸ばす。日本や欧米の若者にも同じことが言えるが、チャックが語るところの「土地に根付いた生活」をしていたエスキモーにとっては、振り幅が大きい。その分、傍で見ている年配者には、それまでの暮らしが失われるのではないかという危機感も大きい。そして何より、エスキモーの文化に背を向けた若者は、「自分は何者なのか」、すなわちアイデンティティーを失い、大きな喪失感を抱えてしまう。


ところがデンプシーのもとで暮らす子供たちにはそうした傾向が見られない。娘のハーレイは毎年、父と一緒に、今ではあまりやる人のいなくなった犬ぞりレースに参加している。

「小さい頃から父の姿を見てきたから。もっと学べば良かったと思うけど」

親の仕事を手伝い、両親の背中を見つめるその視線には純粋な尊敬の念が見て取れる。多くの若者が反抗と喪失のジレンマに陥るなかで、どうしてウッズ一家は、自らのアイデンティティーを受け継ぐことができたのだろうか。


私がみんなの姿をカメラに収めていると、一仕事終えたデンプシーが私を呼びつけた。

「俺と義母さんの写真を撮ってくれ」

彼は海岸に座るカッシーのもとに駆け寄った。するとおどけたようにカッシーの鼻に自分の鼻をくっつけ、

「エスキモーキッスだ」

とデンプシーは笑い出し、カッシーも気恥ずかしそうに笑った。まわりの家族もみんな笑っている。

ウッズ一家がエスキモーの伝統の暮らしを守ることができ、子供たちも受け継ぐことができたのは、何よりも、彼の突き抜けた明るさによるものかもしれない、と私はふと思った。

気がつくと夜の11時になっていた。太陽はまだまだ沈みそうにない。


Keijiro Ohata
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