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Hopeless : 極北の消えるルーツと若者たち 第十一章 支援の限界

by Keijiro Ohata

ハーマンやチャックの世代は、最初にエスキモー文化から引き剥がされた世代だ。彼らの両親は、エスキモーの言語を母語として話し、ゴールドラッシュの繁栄が去った後のアラスカの鉱山で働きながら、伝統的な暮らしを送っていた。しかし第二次世界大戦後に生まれたハーマンらの世代はアメリカ政府によって義務教育を施され、母語を捨て、英語の教育を徹底された。

「よくクラスでエスキモー語を使うと体罰を与えられたものさ」

当然の如く言語は急速に失われ、白人の教師のもと、全く新しい価値観にさらされたエスキモーの若者たちは戸惑い、揺さぶられた。先祖から受け継ぐエスキモーの名前も、呼び合う仲間や家族はもうほとんど残っていない。当時のエスキモーの若者は、誰もが「アイデンティティー・クライシス(=自己喪失)」に陥るリスクを背負って、育ってきたのだ。

「俺は9人兄弟だが、そのうちの4人は早くに死んだ。アルコールが原因だった」
ハーマンはそう教えてくれた。

チャックの兄弟も同様で、前述のカーマンの父も、アルコールに苦しめられた一人だ。目の前で苦しむ兄弟や友人の姿を見てきたコッツビューの人たちにとって、アルコール、そして自殺は誰もが他人事ではない。

当時と今も変わらず彼らの手元にあるのは、アルコール、マリファナ、そして銃。それまでの価値観が崩れ、目指すべき理想も定まらない彼らは、希望のない現状を忘れるため、酒とクスリに手を伸ばしてしまう。そして酩酊状態の時、傍にライフルが転がっている。ふと思い立ち、引き金を引いてしまい、取り返しのつかないことになる。そうしたケースも多いのだという。

アルコール依存症に起因する自殺は、その構造がほとんど変わらないまま既に50年近くが経っている。半世紀あまりエスキモーの社会問題でありながら、未だ解決にいたっていないのだ。


では、政府や自治体は何も対策を施してこなかったのだろうか?


コッツビューの町には二つの民族組織の事務所がある。一つはNANAと呼ばれ、1960年代にエスキモーの土地権益を守るために設立された組織で、もう一つはManilaq(マニラック)と呼ばれる、主にエスキモーの人々に医療や福祉を提供するNGO団体である。どちらの組織もエスキモー自らが権益や健康を守るために立ち上げた。なかでもマニラックは大都市へのアクセスが悪いコッツビューに住む人たちに十分な医療を与えるため、町に唯一の病院も経営している。外科、内科、眼科や歯科など、総合病院として事欠かない機能を提供する傍ら、病院から少し離れた施設ではカウンセリングも行われている。アルコール、ドラッグ、セクハラ被害など、エスキモーの人々の精神面のサポートをする体制が敷かれているようだ。私はこの施設を訪れ、アルコール依存症患者の治療の現場の話を聞いた。


「正直言って、今のプログラムが効果をあげているとは言えない」

コッツビューで6年カウンセラーとして働くエド・マッケイは、マニラックや政府主導のメンタルサポート体制についてそう述べた。

「ただ、もし本気で解決しようと思ったら、莫大な資金が必要になるだろう」

アルコール依存症や、それに伴う自殺は、アラスカ先住民のみに限らず世界中で起こっている問題だ。それがエスキモーの間では長年の大問題として他の地域よりも発生率が高いことについて、エドはサポートの限界を挙げた。

「マニラックができて、私のようなカウンセラーが駐在するようになったからと言って、問題を抱えた人を癒やす環境が整ったわけではない」

「大都市や他の州にいれば、専門のクリニックがあったり、ストレスを和らげる薬も手に入りやすい。ここでは一度傷ついたらなかなか回復が見込めない状況にあるんだ」

と彼は語る。現在コッツビューにはカウンセラーはエドを含めて6人。施設はたった一つだけ。まだまだ万全なサポートができているとは言えない。ましてやコッツビューの町はアラスカ北西部では最大級なのでこれだけの施設が整っているが、さらに小さな村では駐在カウンセラーはいない。

「月に2回だけ、村をセスナで飛び回って往診にいくんだ。これではとてもじゃないけど十分なサポートとは言えないだろう」

というのも、一度絶望の淵に立たされると、素早い対応が求められているからだとエドは言う。

「とくに若者の場合、希望がないという心理的状況が一時的なものであることを知らないんだ。盲目になってしまう。これからずっとこの悲しみと生きていかなければならない、と思い込んでしまっているんだ」

彼らにとって、一刻も早くこの悲しみから解放されたい、と思う先の解決策として自殺がある。だからこそ即座の対応が必要なのだ。誰かがその場にいて慰めたり、話を聞いてあげることが必要なのだ。そしてその悲しみを乗り越えられると教えてあげることが、彼らの命を救う。

他の州ではこれが可能だとエドは言う。きちんとしたサポート体制ができあがり、必要なときに必要な人に診てもらうことができる。しかしアラスカの北極圏の中の小さな村においては、それが叶わない。サポートの限界があるのだ。もしこれを行政の力で解決するならば、莫大な予算と人が必要になるだろう、とエドは言う。

現状では、手厚いサポートが必要な人はアンカレッジやシアトルなど、近郊の大都市に移るしかない。それは、土地との繋がりを強く持ち続けたエスキモー文化にとって、近いようで遠い距離なのだ。実際に遠方で治療を受けて自分の村に帰ってきた人たちの中で、完全に精神の健康を取り戻した人は少ないのだという。


では、大都市からも離れ、十分なサポート体制がないコッツビューや小さな村々において、アルコール依存症や自殺を防ぐための方法はないのだろうか。

「月並みな言葉になってしまうが、お互いに助け合うことが一番大切だ。私は、エスキモーの人々のほとんどが人生で一度は精神を病んでしまうことがあると思う。症状の軽重はあるが、その苦しみを共有できると思うんだ。これだけ重大な問題なのに、支え合うコミュニティーができていないことは致命的だと思う」

「私が思うに、彼らはアルコール依存を、真剣な問題として捉え切れていないのではないか。身近に感じてしまう分、今更きちんとした治療やサポートが必要だと認識できなくなっているのではないだろうか」

エドはニューヨーク州生まれの白人。6年この町で働いていても彼らのことを完全に理解することはできない。けれどエスキモーではないからこそ、客観的に彼らの価値観を見ることができていた。

「エスキモーの文化はお互いのことを思いやることに価値を置いている。老人や弱者に対して非常に寛容な文化だと思うんだ。なのにこの問題についてはお互いに助け合うことができていない。この意識さえ変えられれば、アルコール依存や自殺の問題はゆっくりと解決へと向かうように思うのだけれど」

確かに、カーマンやデンプシーらとの会話から、彼らが互いを思いやる関係を尊いものと考えていることは強く伝わってきた。しかしエドの言うように、アルコールや自殺の問題は、これだけエスキモーの人々にとって身近であるにも関わらず、相互に助け合う関係が成り立っているとは思えない。それは1ヶ月滞在しただけの私でも、不思議に感じるところだ。そこには、エスキモーの人々の、根本的なアルコール依存に対する共通の考え方があるのではないか。


私が出会った人々の中にも、かつてアルコール依存症だったが脱却したという人が少なくなかったが、彼らは一概に、一人で抜け出したという自負の念のようなものを出していた。長い時間苦しみながらも、いつの日か自力で抜け出すことが美徳であるような口調で。

それはあまりに頻繁に起きるからだろうか。たとえ家族であっても、友人であっても介入しないもの、といった暗黙の了解が共有されているように映った。誰しもにとってアルコール依存の問題は身近なものなはずだ。自分自身が過去に苦しんでいたり、今なお苦しめられていたり、家族が蝕まれる姿を少なからず見てきたはずである。

エドの言うように、現在の体制では州政府の支援やマニラックなどNGOのプログラムには限界がある。カウンセラーの人数は最低限で、アルコール依存という密接な治療が必要な病を治療できるほどの環境も整っていない。そしてその現状は飛躍的に改善するという兆しもないのが現実だ。

全ては彼ら自身の肩にかかっている、と割り切ってしまうとそれまでだが、自分たちの力で救える余地がまだあるのは確かだろう。家族間、友人間の相互のサポートがあれば、アルコール依存に陥りそうな人々を守ることはできるかもしれない。自らが苦しんだ過去や立ち直るまでの過程を身近な他人のために生かし、「アルコール依存症は助け合って治すもの」という新たな常識へと思考転換することが彼らには求められている気がしてならない。


Keijiro Ohata
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