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Hopeless : 極北の消えるルーツと若者たち 第十二章 ラヴァーンのフィッシュキャンプ

by Keijiro Ohata

Lavonne’s Fish Campは、コッツビューの町からバギーを10分ほど走らせた海岸線にひっそりと建つ。アラスカを旅するバックパッカーたちのための宿泊施設であるキャンプを切り盛りするのは、ラヴァーンという愛らしい白人のおばあさんだ。私が初めてキャンプを訪れたときも、カヌーでアラスカを旅するバックパッカーたちが予定していた時刻を過ぎても現れず、何か事故でもあったのではないか、とラヴァーンはまるで我が子のことのように心配をしていた。

キャンプには八つの小さなキャビンと、食堂が一つあり、その日はボランティアで来ていたアメリカ人の学生6人と、ラヴァーンとは家族のように仲の良いコッツビューの町の人々が5人ほど遊びに来ていた。

外は雨が降り風が強く吹いていて、8月とはいえダウンコートがないと寒いような天気だったが、食堂の中は暖かく皆が晩ご飯を終え、テレビを見ながらゆっくりと時間を過ごしていた。しばらくしてようやくカヌーのバックパッカーたちと連絡がとれたらしく、ほっと一安心したラヴァーンもお茶を淹れ、安心した表情で友人たちと談笑し始めた。


私がラヴァーンのフィッシュキャンプについて聞いたのは、居候させてもらっているディーンからだ。

「バックパッカー向けのキャンプだけど、地元の子供たちに向けたいろいろなプログラムもやっているらしい」

彼はそう言うと電話帳を取り出し、さっそくラヴァーンに電話をかけた。この町では誰もが知り合いなのだ。

「今から日本からきた学生をそっちに行かせるから面倒を見てやってくれないか」

半ば強引に彼がそう言うとラヴァーンは快諾してくれたようで、私は急いで一泊分の荷物をまとめてキャンプへと向かった。

私が悪天候のなかバギーでやって来るとラヴァーンは歓迎してくれ、暖かいコーヒーを振る舞ってくれた。慎重150cmほどの小柄で、赤縁の眼鏡をかけたラヴァーンの笑顔はとても優しく、初めて会った私も、古くからの友人のように暖かく接してくれた。

しばらくしてやってきたカヌーのバックパッカーたちにも同様に優しい気遣いをするラヴァーンを見ていると、町から少し離れたこのキャンプに毎日のように友人たちが遊びに来る理由も分かる気がした。ボランティアで来ていて2週間ほどこのキャンプで寝泊まりしている学生たちも、ラヴァーンのことをママと呼び、本当の家族のような関係ができあがっていた。


ラヴァーンはカリフォルニア北部の田舎町出身。看護学校に通いながらトレッキングやスキーに明け暮れるアウトドア少女として10代を過ごした。「もっと自然に触れあいたい」という思いからアメリカ各地を旅している間に、いつしかアラスカの山へ行ってみたいという衝動にかられ、それを抑えることなどできなくなっていた。

「そしてついに22歳くらいのときにアラスカへ渡ったのよ。それからよ私がこの土地を離れられなくなったのは」

夏のコッツビューを訪れた彼女はその美しい自然と、何よりこの町に住む人々に惹かれた。

夢のような一夏を過ごした後、彼女はカリフォルニアに戻り看護学校を卒業し、またアラスカに戻り、ナースとして働き出した。

彼女はコッツビューに家を借りながら、周辺の小さな村をセスナで周り、治療を行うという生活を始めた。憧れのアラスカの大地を、文字通り駆け回る仕事に就いた彼女だったが、ナースの仕事は彼女の想像をはるかに超えるストレスのかかるものだった。

「しばらく働いた後、どうしても休みが必要だと思ったの。人の命に関わる仕事。生半可な気持ちではできなかったわ」

1975年には、彼女は現在のフィッシュキャンプがあるこの海岸沿いに自らのロッジを作った。彼女はそこでサーモンフィッシングをしながら、ナースの仕事を続けた。自然と向き合う暮らしをしていると、医療の現場に関わるストレスも癒やされていくのがわかった。

彼女はそれから今に至るまで約40年間、コッツビューの町で暮らしている。もともとはカリフォルニア出身の白人である彼女だが、町のエスキモーの人々は彼女を受け入れ、町では彼女のことを知らない人はいないほど、エスキモー社会に馴染んでいった。

「しばらくエスキモーの人々の暮らしを見ていて、一つ気がかりなことがあったのよ。それは子供たちのこと。新しい価値観が入ってきて、戸惑っているのがはっきりと分かったわ」

彼女がコッツビューで暮らし始めた70年代、80年代は、エスキモー社会の暮らしぶりや価値観が大きく変わり始めた時期だ。この極北の地にもテレビが登場し、はるか南方のアメリカ本土の放送を見ることができるようになった。画面の中に広がる新しい価値観や生活に一番強い影響を受けるのが若者だ。ラヴァーンは初めてコッツビューに渡った頃の若者とはまるで違う様子の若者を目にするようになり、そして大人たちも同様に戸惑っている姿を目の当たりにした。

「子供たちにはもっとエスキモー文化を学ぶ機会が必要だと思ったのよ。けど私はエスキモーじゃないから教えられない。だから町のお年寄りの人たちと協力することにしたの」

そうして彼女は1985年に友人たちの協力を得て、子供たちとお年寄りが交流する機会を作った。

「エスキモーの子供と大人の文化交流プログラムのようなものね」

と彼女は笑う。30年前の時点でそれほど世代間の価値観は違うものだったのだという。子供たちはお年寄りと話をしながら伝統工芸やお菓子作り、ネットフィッシングなどを行い、家庭の中では教わることがなくなってしまったエスキモーのライフスタイルを学ぶことができたのだ。

過去にキャンプを訪れた旅人や子どもたちの写真が大切に保管されている
過去にキャンプを訪れた旅人や子どもたちの写真が大切に保管されている


その頃のLavonne’s Fish Campにはまだラヴァーン一人用のロッジしかなく、今のようなバックパッカー向けの宿泊施設もなかった。しかしその時代にもコッツビューを訪れる観光客は多少なりともいて、ラヴァーンは彼らとエスキモーの子供をどうにか交流させる術はないだろうか、と考えるようになった。

「子供たちにとって違う文化の人々と触れあうことは自分たちの文化を認識する手助けになるように思えたのよ」

ラヴァーンは一度思い立つとすぐにそれを実行してしまう行動力があるのだろう。彼女はすぐに友人たちの力を借り、自らのフィッシュキャンプに宿泊向けのロッジをいくつも増築したのだ。

「観光客はロッジで自然を感じることができ、子供たちは彼らと交流することができ、お年寄りたちもそこで子供たちと交流することができるようになる。やらない手はないでしょう?」

それからは彼女の自宅である海岸沿いのフィッシュキャンプが子供たちのための異文化交流の場となり、同時にエスキモー文化を学ぶ場ともなったのだ。

「私は子供たちに、『あなた達は素晴らしい文化を持っている』ということを分かってほしかったの」

ラヴァーンは眼鏡の奥で目を細めて笑い、そう言った。

しかしラヴァーンにとってはエスキモー文化は自分が育ってきた文化ではない。地元のお年寄りと協力しながら子供たちに教育をすることは困難ではなかったのだろうか。

「もちろん文化の壁を乗り越えようとするといつだって間違いが起きるわ。それは当然のこと。でも何事も全力で向き合えば乗り越えられるものよ」

小柄で華奢な身体のラヴァーンだが、私は彼女の中から今も衰えずあふれ出す膨大なエネルギーをその言葉のなかに感じ取れた。


「でも一番苦労したのはお年寄りの子供たちへの教え方かもしれない。彼らは子供たちの手を取り、”教えると”いうことが分からなかったのよ」

私にはラヴァーンの言うことに一つ思い当たることがあった。それはチャックとイビックでキャンプをしていたときのことだ。私は最初のうち彼に向かって、ボートの漕ぎ方から縄の結び方、釣りの仕方や毛皮の剥ぎ方に至るまで質問攻めしていた。その度に彼は私の前で実践してみせてくれるが、言葉では説明してくれない。私が何度見ても分からず、あれこれと細かく聞いていると彼は業を煮やしてこう言った。

「いちいち質問ばかりするな! 俺たちはいつだって親たちがやっている姿を見て覚えたんだ。最初から最後まで教えてあげるほど暇じゃないんだ」

彼はそう怒鳴りつけるとそそくさと一人で作業を終わらしてしまったのだ。私はそのときはチャックの性格によるものかと思っていたがどうやらそれはエスキモー社会全体に言えるものだったようだ。

ラヴァーンのような西洋社会で育ってきた者にとって、「教える」という行為は、大人や先生が子供の手を取り、見本を見せ、言葉で説明して、学ばせることを言う。しかし少し前のエスキモー社会で育ってきた者にとっては、そんな悠長なことは言っていられないのだ。彼らの両親は生きるために働いたり漁や狩りにでかけたりすることに忙しく、子供はその様子を見ながら、自分で学ぶ必要があったのだ。

そしてもちろん小学校から西洋式教育に晒されている子供たちにとってエスキモー式教育は馴染みがない。ラヴァーンはお年寄りの「先生」たちにその違いを分からせることが一番困難だったという。

ラヴァーンのフィッシュキャンプには、彼女が子供向けのプログラムを始めたころからの彼女の友人である、ビュラという女性が住んでいる。ビュラは90歳を超えているおばあさんで、30年に渡ってコッツビューの子供たちに「先生」としてエスキモー文化を教えている、ラヴァーンの盟友だ。

「ビュラも昔は子供への接し方に苦労していたわ。一度強く叱ってしまって子供が離れてしまって。それからどうしたら良いか分からなくなったみたい」

しかしそんなビュラもラヴァーンの助けを得ながら経験を積み、子供達との距離の取り方を覚えていった。今ではみんなのおばあちゃんとして地元の若者やバックパッカーたちにも愛されている。

「一時期子供たちがキャンプにやってくるのを怖がっていたビュラも、子供達を乗せたワゴンが来る音が聞こえると、真っ先にロッジから出てくるようになったわ」

ラヴァーン(右)とビュラ(左)は30年来の親友だ
ラヴァーン(右)とビュラ(左)は30年来の親友だ


「当時から今に至るまで変わらずエスキモーの若者の最大の問題は自殺。私はこのプログラムで子供たちをどうにか自殺から救うことはできないかと常に考えてきたわ」

ラヴァーンは子供たちを救うことができるのは、「あなたを心から気にかけている人がいる」と気づかせることだという。テレビやネットの世界ではない、”リアル”な人とのコミュニケーションを通じて、自分に向き合ってくれていることを知らせることが大切だという。そして対人関係を構築するなかで自殺を減らすことができるのがラヴァーンの狙いだ。

しかし子供たちにも親がいて、家族がある。普段の生活の中のコミュニケーションで十分ではないのだろうか。

「エスキモーの人たちはコミュニケーションの取り方に大きな問題があると感じたわ。それは家庭の中でも同じだった」

ラヴァーンの考えでは、古いエスキモー文化において育ってきたビュラのような年配者は、家父長主義の中で育ってきた。人々の調和よりも統率が重視されてきた社会だったという。親と子の関係も、対話をしてコミュニケーションを図ることが大切にされてこなかったのだ。しかしラヴァーンがこのプログラムを始めた80年代には子供たちが変わりつつある時代だった。

「小学校教育で価値観の違う教育を受けたということもあるけど、それより大きいのが親たちのアルコール依存よ。私の感覚だとあの時代から著しく悪化したように思う」

親がアルコール依存症になると、真っ先に被害を受けるのが子供たちだ。子育てをしなくなり、ネグレクトに陥る。さらにはDVにまで発展するケースも多かったという。

「子供と話をして、料理を作って、着替えをさせて、学校に送り出す、という何でもないことがアルコールに溺れるとできなくなる。それは子供たちに大きな影響を与えていたわ」

ラヴァーンのプログラムに参加する子供たちの中にも明らかに異常な子供がいたという。

「その子は当時で既に12歳だったのに言動はまるで5歳児のようだったわ。走り回り、感情の起伏が激しくてまるで子犬のようだった」

不思議に思ったラヴァーンはその子の家庭環境を周囲の人に聞くうちに、両親が重度のアルコール依存症であることを知ったという。そしてそういう子供たちがもう少し成長して思春期を迎えたころになると、自殺をしてしまうケースがあまりにも多いのだという。

「私が思うに、子供たちが抱える問題の原因はほとんどが家庭環境よ。親が子育てをしなくなった。これがあまりにも深刻なのよ」

ラヴァーンの言う、「自分を心から気にかけてくれる存在」がいないことが子供たちを苦しめ、自殺へと振り切ってしまう子たちが後を絶たない。

「実を言うと私自身もあまり良い家庭環境で育ってきたとは言えないのよ。両親は幼い頃に離婚。母親に引き取られた私たち兄弟は親の愛情を受けずに育ってしまったの。母は働きっぱなしで家に帰ってもお酒ばかり飲んでいた。私が弟たちの面倒を見なければいけなくて本当に大変だったわ」

しかしそんなラヴァーンたち兄弟が無事に大人になれたのは、近所の人たちの助けがあったからだという。「本当に気にかけてくれる人がいる」ことを知ったラヴァーンは「心から救われた」という。

そうした過去をもつ彼女だからこそ、人種は違っても、エスキモーの子供たちの辛さが痛いほど分かるのだ。

「そういう存在が周りにいない子供たちは人生が”負け戦”のように思えてしまうの。だから一度絶望を感じると立ち上がれず命を絶ってしまうのよ」

ラヴァーンはこのフィッシュキャンプを通して、そうした子供たちの心の支えでありたいと願っている。


ラヴァーンがフィッシュキャンプでのプログラムを始めた頃に親から教育を受けられなかった子供たちが、今大人になり、家庭を持ち、今度は自らが親となっている。そして彼らは今、どうやって子育てをすれば良いか分からず戸惑っている。エスキモー社会において、親が子供の教育をできない、という連鎖が生まれてしまっているのだ。

「この負の連鎖を断ち切ることが必要なの。親が子供と向き合って、対話をして、子育てをする。何よりもコミュニケーションをとることが重要なの。そのためには親たちも教育を受けなければいけないわ」

子育ての仕方が分からない若い親たちにはロールモデルが必要だとラヴァーンは指摘する。

エスキモー社会の中にも親が愛情を持って子育てを行い、子供もすくすくと育っている家庭はもちろん存在する。私が一緒に時間を過ごした、デンプシーやハーマンの家がまさにそうだろう。そうした地域の子育てが上手な家族が、周りの家族の見本となることはできないか、とラヴァーンは考えている。

「アメリカの白人社会のモデルではなくて、地域の同じ環境で暮らす家族がモデルとなれば、他の家族も学ぶことができるのではないかと思うの」

彼女は今、フィッシュキャンプの文化交流プログラムと並行して、ある計画を立てているという。

「地元の高校生たちの協力を得て、子育てビデオ教材を作れないかと考えているのよ。悩める親たちに向けたビデオで、そうね、題名は『子供を思いやるための10の法則』なんてどうかしら」

と彼女は楽しそうに笑った。

「これ以上不幸な子供を生まないためには親を変えなければいけない。子供の教育と同じくらい、親の教育が今求められているのよ」

私はこれまでのラヴァーンの行動力と人を巻き込む力を考えると、このビデオができあがるのは時間の問題のように思えた。彼女ならやり遂げるだろう。いくつになっても衰えを知らないその情熱によって。

「なんだか暗い話ばかりしてしまったけど、私は実は楽観的に考えているのよ」

ラヴァーンの表情がパッと明るくなる。

「ここまで40年もかかったけど、今がその一歩を踏み出すときなの。いつだって遅くはないわ。どんな悲惨な状況に陥っても、絶対に希望はあるから」


Keijiro Ohata
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