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Hopeless : 極北の消えるルーツと若者たち 最終章 ニケチョに託した想い

by Keijiro Ohata

夏の光を浴びたツンドラの大地を、小さな長靴を履いた子供たちが真剣な表情で歩き回っている。ふかふかの土の上を時折転びそうになりながらも地面から目を離さない。

「あった!」

一人の女の子が悲鳴のような声をあげ、茂みの中から丸くて黒い実を見つけ出した。ブルーベリーだ。

「先生、見つけたよ」

嬉しそうにはしゃぐ女の子の周りでは次々と他の子供たちもブルーベリーを見つけ、大喜びだ。ポリー・シェイファーは手に持ったバケツを子供たちに差し出し、実を集める。あっという間にバケツは大きく実ったブルーベリーやラズベリーの実でいっぱいになったが、子供たちは飽きることなくツンドラの土を真剣に探し回っていた。

「はいみんな集まって、先生の周りに座って」

ポリーがそう言うと子供たちは囲うように円になって土の上に座り、彼女とバケツを見た。するとポリーはバケツの中からブルーベリーを一粒取り出し、子供たちに見えるようにして、

「ブルーベリーのヘタは葉っぱが何枚ありますか?」

と尋ねた。すると子供たちは真剣にブルーベリーの実を眺めて、ヘタの数を数えだした。ポリーは子供たちと一緒に一枚ずつ葉っぱを数えて

「正解は5枚です」

とエスキモー語で答えた。


ここはコッツビューにある幼稚園、「ニケチョ」の青空教室。教室を抜け出し、自然のなかで子供たちに数の数え方とエスキモー語を教えているところだった。「ニケチョ」とは”no barrier”、つまり壁のない場所という意味のエスキモー語。20人ほどの3歳児から5歳児の子供たちを、3人の先生たちがエスキモー語を中心に教育する幼稚園だ。ポリーは現在園長を務めていて、ニケチョ創立に携わったうちの一人だ。彼女の夫、ピート・シェイファーはニケチョ創立の中心人物であり、チャックの二番目の兄でもある。

「兄貴はエスキモー文化を保護する活動を長年引っ張ってきた男だから話を聞いてみるといい」

とチャックに言われ、私はピートの家を訪れた。


ニケチョ創立の中心メンバーのピート・シェイファー
ニケチョ創立の中心メンバーのピート・シェイファー

「ニケチョを創ったのは1998年。私と知り合いの家族とで協力してエスキモー語の教育の場を創ったんだ」

ピート・シェイファーはかすれた声で静かに語り始めた。二度の大病を患い体重が激減したというピートは、チャックよりもずいぶんと年老いて見える。

「もともとは小学校の教育を変えたいと思っていた。エスキモー文化の教育があまりに少なすぎたから」

ピートがニケチョを創立した20年ほど前から今も変わらず、コッツビューの小学校や高校のエスキモー文化の教育は週にわずか1時間。内容もほとんど「お遊び程度」のもので、子供たちは真剣に学ぼうとしない。授業内で扱うエスキモー語も挨拶や基本的なフレーズのみで実践的ではない。

「これでは私たちの言葉や文化が途絶えてしまう。そう思って学校や自治体に掛け合ってみたがダメだった」

エスキモーの生徒の学力は総じて平均より低く、これ以上授業時間を割くことはできない状態だったのだ。

しかしそれでも現在のエスキモー文化の教育は大幅に改善された方だった。チャックやピートが生徒だった時代はエスキモー語を話すことすら禁じられ、「アメリカ人」としての教育を押しつけられていた。

「西洋文化の洗脳」だったと振り返るピートは、自分自身もエスキモー文化を継承し切れていないことに、後悔と罪悪感と怒りを抱き続けてきた。

「ここで根絶するわけにはいかない。そう思って自分たちで教育することを始めたんだ」

ニケチョで使われているエスキモー語の教科書
ニケチョで使われているエスキモー語の教科書


「ニケチョではエスキモーの子供たちに”自分がどこから来たのか”を意識させ、自己を尊重できる人間になって欲しいと考えている」

ニケチョのカリキュラムは主に教室の外で行われる。それはブルーベリーピッキングやフィッシング、そしてハンティングというエスキモーのライフスタイルを通して、言語や価値観を身体で覚えて欲しいという意図があるからだ。

「生き物の死や動物の血さえも私たちにとっては学びの機会なんだ。そこから自然やお互いへのリスペクトを学ぶことができるから」

そうしたエスキモー文化の体験を通して、同時にエスキモー語の教育も行っている。ポリーは現在のコッツビューでは珍しい、エスキモー語を完璧に話すことのできる人間だ。彼女をはじめとした数人のボランティアの先生たちと共に、簡単なエスキモー語の会話を子供たちに教えている。

「言葉がなくなってしまうということは、私たちにとって大きすぎる喪失を意味している。言葉は肉体的にも精神的にも、エスキモー文化の支柱なんだ」

ピートはこれまで何度も自分が受けてきた教育を恨んできたという。祖母や母が話す言葉が理解できず、彼らから受け継ぐはずだった物語や価値観が自分の中に根付いていない。そのことを悔い、学校を恨み、自分を恥じた。

「これからの世代には私と同じ後悔をしないで欲しい。そして次の世代へと文化を受け継いで欲しいんだ」


ニケチョの教室は町のほぼ真ん中に位置し、外からでも子供たちの声が聞こえてくるほど賑やかだ。私が訪れると、ちょうどポリーが子供たちにエスキモー語の歌を教えているところだった。授業は全てエスキモー語で行われ、子どもたちも簡単な言葉を話し、英語は聞こえてこない。壁にはアラスカの動物たちの絵と共に、エスキモー語の名前がついている。

ポリーは子どもたちが給食を食べている間に話を聞かせてくれた。彼女は机から資料を取り出し、私に差し出した。そこにはニケチョの卒業生と、コッツビューのその他の生徒と、アラスカ州全体の生徒の学力を比較したデータがあり、ニケチョの卒業生は、その他の生徒たちよりも平均的に良い成績を収めていることがわかった。

「言語だけじゃなくて生物や算数などいろんな科目を自然の中から学べる場所なのよ」

と彼女は誇らしげに言った。その実績もあってか、ニケチョに子どもをいれたい親は後を絶たず、毎年親子で面接をして入園生を絞っている。そして晴れて入園を認められた子どもの親はまず始めにこう言い渡されるのだという。

「家庭でもエスキモー文化に子どもたちを触れさせ、必ず親子でコミュニケーションを十分にとること」

ポリーは、子どもの教育はやはり家庭内における割合が一番高いと考えている。ニケチョでいくらエスキモー語の教育を施しても、家の中で英語だけを使い、テレビやインターネットに囲まれた生活を過ごしていると意味が無い。

そしてそこにはもう一つの理由があるのだ。

「子どもたちにエスキモー語を教え、子どもたちがそれを家に持ち帰って親たちに教える。その好循環を期待しているのよ」

今小さな子どもを持っている20代、30代の若い親たちは、こうしたエスキモー文化の教育を受けてこなかった。当然、言語は話せず知識もない。こうした世代にも、子どもたちを通して教育しようと図っているのだ。

子どもたちに簡単なエスキモー語を教える
子どもたちに簡単なエスキモー語を教える


しかし、そもそもこの町の親たちは子どもとの接し方も分からず、子育てに積極的じゃない家庭も多いのではないだろうか。

「ここに来る子どもたちの親はきちんと子どものことを大切に育てている場合が多いわ。けどどう接すればいいかはやはり難しいみたい」

ニケチョでは両親にも積極的に行事に参加してもらい、一緒に教育を創り上げていくことを重視している。それは、子どもとの向き合い方の分からない親たちに手本を見せ、子どもと一緒に親も教育することが必要だと感じているからだという。


「ニケチョを創ったころと比べて、最近はわずかだがエスキモー文化が蘇りつつあるように感じる」

ピートは妻や友人たちと始めたこの教育プログラムに確かな手応えを感じていた。このまま途絶えてしまうのではないかと危機感を抱いた頃よりも、今は希望が持てるという。

「子ども達を教育し、言語を取り戻してその先の世代へ繋いでいく。ニケチョはその手始めでしかないんだ」

ピートはこの教育を通して、はるか先のエスキモーの未来を見据えていた。もちろん彼は、失われかけた言語を取り戻すことに気が遠くなるほど長い年月がかかることも理解している。そして自分がその時代に生きていないことも。

「私や妻はもう年をとってしまった。そろそろこのバトンを次へと手渡さなくてはならない」


ニケチョが創られてから約20年。一期生や二期生だった子どもたちは今では立派になり、大学に進学している者もいる。卒業生の全員がエスキモー語を喋れるわけでは決してない。小学校にあがると一気にエスキモー文化と触れる時間は減るからだ。

「言葉は話せなくなっても、この子たちは自分がどこから来たのか、自分がどういう人間なのか分かっている。それは一生忘れることがないわ」

ポリーは強い口調でそう言った。

それでも子どもたちの中には、卒業後も家庭内で勉強を続け、ほぼ完璧にエスキモー語を操れる生徒がいるという。都市の大学へと渡った彼らがいつかこの町に帰ってくるとき、ピートやポリーの意志は引き継がれるのだろうか。

ピートは一瞬考え込んだように間を置き、かすれた声を絞ってこう言った。

「そうあることを強く願っている。少なくとも私は、彼らにはそれができると確信しているから」



Keijiro Ohata
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