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コッツビュー再訪 (5)

by Keijiro Ohata

それは一瞬の出来事だった。

双眼鏡越しにカリブーを捉えたランスは、長男のコーディーだけ連れてスノーモービルのエンジンを吹かし、あっという間にその姿が小さくなった。

数百メートル先の大雪原の上を全力で走るカリブーは3匹ほど。この距離からでも、小バエのようなその小さな点が、死の恐怖からありったけの力を込めて逃げる様子が確認できた。

その後ろからランスとコーディーが乗ったスノーモービルがどんどん距離をつめていく。スピードの差は歴然だ。

わずか十数秒ほどでスノーモービルが追いついた。するとランスは突然エンジンを止め、コーディーから何かを受け取った。カリブーたちはかまわず全速力で走り続ける。遠すぎて見えづらかったが、ランスのその姿勢から、彼がライフルを構えたことがわかった。

カリブーとの距離は少しずつ遠くなる。
彼はまだ撃たない。
このままだと逃げられるのではーー。
そう思った瞬間、甲高い発砲音が雪原を駆け抜けた。

3匹で逃げ惑っていたカリブーのうち、1匹がパタリと地面に倒れた。あとの2匹は振り返ることなく走り続けた。

「やった! さすがパパだ」
次男のタイが誇らしげに叫んだ。
倒れたカリブーだけがその場にうずくまり、群れから取り残されている。

だがこれで終わりではなかった。ランスはすぐにスノーモービルを再び走らせ、あとの2匹を追った。もう2匹は数十メートルほど離れてしまっている。だがこの広く、隠れる場所もない雪原のなかで彼らがこの運命から逃れることは不可能であることは明白だった。
それでもカリブーは止まることなく走り続ける。無情にもスノーモービルはすぐに射程圏内に近づく。そしてもう一度甲高い音が鳴り響き、新たに1匹のカリブーが崩れ落ちた。


残された1匹のカリブーは一度も後ろを振り返ることなく丘を越え走り去った。ランスももう追いかけるつもりはないようだ。なにやらこちらに向かって手を振っている。私たちはすぐにスノーモービルをふかし、彼の元へ急いだ。

カリブーは2匹ともメス。雪の上に伸び上がった体はまだかすかに上下している。だがその目は乾ききっているようだった。

子どもたちが2人がかりでカリブーを抱え、素早くソリに乗せた。100メートルほど移動してもう1匹も同じようにソリに乗せた。2匹は抱き合うようにして、冷たいソリの上で力なく完全な死の訪れを待っていた。

私はその黄金色の毛並みを撫でてみた。意外と肌触りがいい。この大自然のなか吹き荒れる風に削られ、もっとざらりとした感触を想像していた。
カリブーの身体はまだ温かかった。

「せっかくカリブーが獲れたことだし、この肉を使ってリンクスの罠をつくろう」

ランスはそう言うとその場でナイフを取り出し上着を脱いだ。気温は-30℃を超える寒さだが、彼はパーカー姿になった。

グサッというよりはサクッという感じか。彼はカリブーの首元にナイフを刺すと、そのまま胸、腹、足の付け根までナイフを滑らせる。腹を裂かれたカリブーは血を流すが微動だにしない。もう完全に死んだのだろうか。ランスはすかさずカリブーの内臓を取り出す。大腸をかき出し、手際よいナイフ捌きで肺や肝臓を出し、真っ赤に染まった心臓も切り取った。ランスの手のひらの上でそれはまだ脈打っていた。
それらの内臓からは湯気が上がっていた。

「赤ん坊がいるぞ」

ランスはそう言うと、取り出した内臓のうちの一つをまたナイフで裂いた。すると中から小さなカリブーの胎児が現れた。その内臓は子宮だったのだ。

まだ妊娠数ヶ月だろうか、毛もなく目鼻もわずかに形作られただけのような未熟児。下腹部にはへその緒がついていた。このカリブーはお腹の中に赤ちゃんを宿しながら、突然降りかかった死という運命から必死に逃げていたのだ。あと数ヶ月もすれば、雪解けの草原にこの赤ん坊は産み落とされるはずだったかもしれない。

「2 in 1——。この時期の雌カリブーなんぞほとんどが腹に赤ん坊を宿しとる。そんなことはエスキモーならば誰だって分かってるはずだ。なぜあと数ヶ月ばかり待てないんだ」

狩りから戻り、ハーマンにこのことを話すと彼は吐き捨てるようにそう言った。
彼に言わすと、この赤ん坊が生まれていれば、大人になって狩ることもできれば、その子孫をも狩ることができる。だが生まれる前に狩ってしまうことは将来の狩りの可能性を摘みとってしまうようなことだという。
狩りに生活を一存していたかつてのエスキモーならば、絶対にしないことなのだ、と。

狩りに対する価値観は人それぞれある。動物の命を奪うことを真っ向から否定する人もいれば認める人もいる。狩りに根ざした生活を送ってきたエスキモーの中でも、世代によっては狩りに対するとらえ方はそれぞれだ。
狩りによって得られるものは、決して食糧だけではないのが今の世代なのだろう。スーパーで食糧がそろい、村のなかだけで生きていける現代において、狩りという行為そのものから得られる尊厳、アイデンティティー。その意味合いの方が大きいのではないか。
何よりランスは自分の姿を子供たちに見せたい、という思いがあったのだろうと私は思う。
だからこそ彼はコーディーを後ろに乗せてカリブーを殺めた。たまたまその銃弾で胎児の命も奪ってしまっただけなのだ。


もう一匹のカリブーの腹を裂くと、確かにこちらからも胎児がこぼれおちた。
ランスが手際よく肉を解体する間、子供たちはこの2匹の未熟児に雪をふりかけ、小高い墓を作って埋葬した。



Keijiro Ohata
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