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フィンランド 湖とサウナとトレッキングと (下)

by Keijiro Ohata

燃える身体

「全然冷たくない、いけるわこれ」

私は湖に両足を突っ込み、思わず声を上げてしまった。

先ほどは氷のように冷たく感じたのが嘘のよう。

身体の中で暖炉の火が燃え続けているようだ。

はしごから手を離し、全身を湖に預けた。肺が急激な温度変化に縮こまるのが分かる。

だがそれは真夏のプールのように、ひんやりとしながらも心地よい。

続いて湖に飛び込んだ彼女も、もう絶叫で森を震わせることはなくなった。

水面に浮かんで赤く燃える夕焼け空を見上げると、両耳に冷たい水が流れ込んだ。

目を閉じて全身の力を抜くと、まぶたの裏が赤く染まる。

しばらく浮いていると足先がしびれてきた。

身体の中の火が消えつつある。

時間切れだ。デッキに上がり、また水を含んでサウナに戻った。

サウナで燃やし、湖で消火する——。

その行為を繰り返しているうちに身体の表面からぽろぽろと古い皮が削ぎ落とされるようだった。

湖から上がり、デッキの上で風が吹き抜けても寒さを全く感じなくなっていた。

気がつくとサウナに入ってから2時間になろうとしていた。

薪は炭になり、夕陽が森の奥に沈んだ。

私たちの身体だけが燃え続けていた。

ヌークシオの森

よく晴れたある日の朝、車でカルキラから1時間ほどハイウェイを走り、ヌークシオ国立公園の土を踏んだ。

広さ約45㎢、90近くの湖や湿地をたたえた森林地帯だ。ムースやモモンガ、クマといった野生動物の生活圏のすぐそばに長短さまざまなトレイルが張り巡らされている。

雲一つない青空だが吹き抜ける風は冷たい。リュックの中に今朝作ったアボカドとサラミのサンドイッチ、ポテトチップスと水を詰め込む。ウインドブレーカーのジッパーを閉め、駐車場から続くトレイルを歩き出した。

トレイルの脇に立つ地図を見て行き先を決める。

およそ2キロ先に大きな湖が見えた。"Vaha Parikas"とある。

「1時間ほど歩いて湖のほとりでランチを食べよう」

私は新調したトレッキングシューズの靴紐を締め直して踏み出した。

森の中を縫うように作られたトレイルを歩いていると、時折冷たい風が吹き抜け身体が震える。ここでは冬がもうすぐ近くまで来ている。岩や木々に落ちる木漏れ日も柔らかい。

踏み込んだ土は少し湿っているのか、足がわずかに沈み込むようだった。

辺りには誰もおらず、やはり風になびく木々のこすれた葉っぱの音だけが心地よく流れていた。

私たちは一度も休むことなく湖へと歩を進めた。

森の宝石

後ろから人影が近づいてきた。

振り返ると、ウィンドブレーカーに長靴姿の60代くらいの女性が片手にバケツ、もう一方にはステッキを持ってトレイルを登っていた。

彼女はしばしば脇道に踏み入り、何やら真剣な表情で地面を見つめている。

立ち止まると地面に手を伸ばし、何かを掴んでバケツの中に移す。

すれ違うときにバケツを覗くと、大量のベリーの実が目に入った。

なるほど、ベリーピッキングをしていたのか。

私たちも彼女のように地面に目を落とすと、そこは地衣類が複雑に絡まり合った緑の絨毯。そしてその中には宝石のように赤いベリーが散りばめられていた。

手袋を外して摘み取り、そのまま口に運んでみる。

甘酸っぱさが瞬時に口いっぱいに広がったあと、小さなタネのようなザラザラした食感とほろ苦さが残った。

カヌーとコーヒー

国立公園の中には、乗馬やカヌー、フィッシングなど様々なアクティビティーを提供するアウトドアショップが点在している。

私たちはそのうちの一つで湖のほとりに立つ"NaturaViva"という店でカヌーを借りた。

「マウントフジは最高に美しかったよ」

ブラジルから移住したという店員の男は、なまりのきつい英語で日本を訪れたときの思い出を語り、私たちにライフジャケットを渡した。

簡単な説明を受けたあと、早速店の前の桟橋からカヌーに乗り込んだ。

午後になると風が強くなってきて、漕ぐのをやめるとすぐに私たちのカヌーは流されてしまう。

力一杯オールで湖の水を掻くとすぐに身体が熱くなってきた。

Haukkalampiというその湖は、コの字型に曲がった全長800メートルで、どちらかと言えば池といったところ。30分も漕げば奥までたどり着いた。

私たちのほかにカヌーに乗っていたのは2組ほど。悲鳴を上げかけていた腕の筋肉を休ませるため、湖の奥にある桟橋に横付けして一息ついた。

桟橋から上がり、近くの倒木に腰掛けてランチで食べ残したポテトチップスをつまむ。

木々に囲まれ風が遮られる。心地よい疲れと平穏な静けさに、思わず眠ってしまいそうになる。

水面に浮かんだ落ち葉が西陽に照らされきらきらと輝いていた。

気がつくとカヌーの返却時間が近づいていた。

私たちは急いで湖の端から端へとこぎ、ぎりぎり滑り込みでカヌーを返した。

「最高の景色だっただろ?」

ブラジル人の店員ははち切れそうな笑顔で私たちのライフジャケットを受け取り、ゴツゴツとした手で握手を求めた。

その店にはカフェが併設されており、歩き疲れたハイカーたちが一服していた。

私たちも1杯のホットコーヒーを買った。

湖のほとりにあったベンチで熱いコーヒーをすする。吐く息が口元から白く立ち上った。

時刻は午後4時を回っていた。

「そろそろ帰ろうか」

日が沈む前にコテージに戻らなければ。

ハイウェイラジオ

駐車場まで続く道は黄色く染まった落ち葉によって飾られ、吹き抜ける風がその群れに新しい一枚を加えた。

私たちは一足先に訪れた晩秋の気配を胸いっぱいに吸い込み、車に乗り込んだ。

ヌークシオを後にして山道を下っていると、道路脇をローラースケートを履いて滑降する中学生くらいの若者たちとすれ違った。クロスカントリーの練習だろうか。この景色を見ながら一身に風を受けるのはさぞかし気持ちがいいだろう。

左ハンドルはいつまで経っても慣れない。ウインカーを出そうとしてワイパーがフロンドガラスを擦り、冷や汗をかきながらハイウェイに合流する。

真っすぐに伸びたハイウェイを走る車はまばらで、気を抜くとかなりのスピードが出ていた。

地元ラジオ局にチューニングされたカーナビから、70年代のような懐かしいサウンドのフィンランド語カントリーソングが聞こえてきた。伸びやかな女性ヴォーカルの歌声があくびを誘い、ハンドルを強く握り直す。

全身を心地よい筋肉痛が包んでいた。

「今夜の晩御飯は何を作ろうか」

「明日は雨降るみたい」

「ゆっくり本でも読んで過ごそうか」

日が傾きかけたなか、ムース出没注意の看板を横目に、私たちは湖に浮かぶ小さなコテージへとまっすぐ車を進めた。

おわり

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